冬の厳しい寒さを越え、初夏の陽光が差し込む道南・函館の海。ここは、国内有数の生産量を誇る「マコンブ」の一大産地です。波穏やかな海面の下では、秋から大切に育てられた昆布がゆらゆらと揺れ、収穫の時を待っています。

しかし近年、この豊かな海で、地域の基幹産業を揺るがす深刻な事態が進行しています。それは、昆布の表面を覆い尽くす「ヒドロゾア」や「コケムシ」といった付着生物の急増です。放っておけば商品価値を完全に奪い去ってしまうこの見えない敵に対し、現場は今、どのような苦悩を抱え、どう立ち向かっているのでしょうか。自然の脅威が複雑に絡み合う海のなかで、マコンブ養殖のリアルな実態に迫ります。

■ 誰の困りごとか 
北海道・道南函館地域で養殖マコンブを生産する漁業者。
特に、外観と厚みが価格を左右する「折り昆布」を生産する漁業者にとって、ヒドロゾアやコケムシの付着は深刻な問題となっている。
影響は生産者個人にとどまらない。漁協、昆布の加工業者、問屋、流通事業者、販売先、普及指導機関、地域の後継者など、道南の昆布産業を構成するプレイヤー全体に波及する課題である。
■ どこでの困りごとか
北海道・道南函館地域の養殖マコンブ生産現場。海上での種苗の沖出し、間引き、水深調整、収穫から、陸上での乾燥、選別、付着物の除去、加工、出荷まで、一連の工程に影響している。

特に、初夏から夏にかけて水温が上昇する時期には、ヒドロゾアが短期間で急速に成長し、収穫判断と加工工程を圧迫する。
■ どんな困りごとか
発生時期や場所を予測できない付着生物によって、品質を高めるための長期養成と、被害を避けるための早期収穫が両立できないという大きなリスクに直面している。

加えて、被害後の除去作業は機械化が難しく、作業者の健康被害、人件費増加、後継者不足を招いている。

課題説明

①「厚く育てるほど危険になる」という生産構造の矛盾

道南のマコンブ、とりわけ折り昆布では、厚みがあり、傷がなく、外観の美しいものほど高い評価を受ける。

そのため、生産者としては、可能な限り長く海中で育て、昆布の「実入り」を良くしたい。ところが、海に置く期間が長くなるほど、ヒドロゾアが付着し、急速に広がるリスクが高まる。

小さな付着を見逃せば、数日のうちに昆布の表面が金色の毛のような状態に覆われる。変色が進むと、通常品としてだけでなく、低位の区分でも出荷できなくなる場合がある。

つまり現場では、品質を高める行為そのものが、廃棄リスクを高めてしまう。

現在の主な対応は、付着を発見したら収穫を前倒しすることだ。しかしこれは、被害を避ける代わりに、厚みや収量を犠牲にする判断でもある。

必要なのは、単純な早期収穫の推奨ではない。「あと何日海に置けるのか」「どの施設から先に収穫すべきか」を判断できる、生産意思決定の支援である。

②発生条件が分からず、経験則をデータに変えられていない

ヒドロゾアは、水温が上昇すると急速に成長すると考えられている。しかし、発生の時期や場所は年によって異なる。

沖側から水温が上がるため沖から発生するという見方がある一方、浅い陸側が日射で温まり、陸側から発生するという見方もある。複数の潮流が混ざる道南の海域では、水温と発生場所の関係を単純には説明できない。

海中では、水温だけでなく、塩分、流速、光量、水深、潮流などの条件が複雑に絡み合う。

漁業者は、海の色や潮の動き、昆布の状態などを日々観察している。しかし、その知見は個人の経験として蓄積され、複数の漁場や年度をまたいだデータとして整理されていない。

普及指導機関などに相談しても、発生条件について明確な回答が得られないことが多いという。現場にも研究側にも、判断に必要な連続データが不足しているためだ。

ここで求められるのは、研究用途の高価な観測設備だけではない。

漁業者が設置・回収でき、現場の操業を妨げず、水深別の環境と付着状況を継続的に記録できる、小型で実用的な観測システムである。

③被害が出た後の除去作業が、人の健康を削っている

付着生物がついた昆布は、陸上で一枚ずつ表面をこすり、付着物を取り除く。

付着が少ない年と多い年では、同じ時間で処理できる昆布の本数が大きく変わる。付着が多ければ、加工場全体の処理能力が低下し、収穫後の工程が滞る。

さらに深刻なのが、作業者への健康被害だ。

乾燥したヒドロゾアをこすると、微細な粉塵が空気中に舞う。作業後に目が激しくかゆくなったり、咳が止まらなくなったりする人もいる。症状を抑えるため、作業前に注射を受けたり、薬を服用したりするケースもある。

ダクトや換気扇を設置していても、粉塵の吸入を完全には防げない。

これは、「昆布の品質を守るために、人が健康を損ねている」という状態だ。

防塵設備や保護具の改善だけでなく、そもそも人が付着物に触れる時間を減らす工程設計や、粉塵を発生させない湿式処理なども検討する必要がある。

④既存の洗浄機では解けない「昆布の形状」という壁

付着物の除去は一見すると、洗浄機を導入すれば解決できるように見える。

実際に、過去には洗浄機を試した漁業者もいる。しかし、道南のマコンブは中央の中帯部が厚い一方、葉の周辺部が非常に薄い。

洗浄の力を強くすると、ヒドロゾアが落ちる前に薄い葉の縁が裂けたり、表面に傷がついたりする。力を弱くすると、強固に付着したヒドロゾアを落とせない。

さらに、外観が重視される折り昆布では、付着物を除去できても、その跡が残れば等級が下がる。

つまり、必要なのは「強く洗う機械」ではない。

昆布の形状や厚みを検知し、部位ごとに圧力、速度、ブラシの当て方などを調整できる処理技術である。

画像認識、柔軟素材のロボットハンド、力覚センサー、ウォータージェット、超音波など、他産業で発展してきた技術を転用できる可能性がある。

⑤被害額だけでは測れない、産地全体への連鎖

付着生物による影響は、廃棄された昆布の金額だけでは測れない。

収穫を前倒しすれば、昆布の実入りが不足する。折り昆布として出せなければ、等級と価格が下がる。除去に時間がかかれば、加工可能量が減る。粉塵対策や薬、追加人員にもコストが発生する。

被害が大きい場合には、養殖施設複数基分を廃棄し、損失が100万円単位に達する可能性がある。

一部では、問屋が付着のある昆布を低位の区分で買い取ることで、全量廃棄を避ける取り組みも行われている。ただし、通常品や折り昆布に比べ、販売価格は低くなる。

そして最も大きな問題は、こうした不確実性と重労働が、若い世代の参入障壁になっていることだ。

海況に左右され、数日で収入が大きく変わり、収穫後には健康リスクを伴う除去作業が待っている。この構造が続けば、技術継承以前に「この仕事を続けたい」と思う人自体が減っていく。


インタビュー協力者

道南・函館地域で養殖マコンブに携わる漁業者

北海道・道南函館地域で、養殖施設の設置、種苗の沖出し、間引き、水深調整、収穫、乾燥、加工、出荷まで、マコンブ養殖の一連の工程に携わっている。

今回の取材では、ヒドロゾアやコケムシの発生状況、収穫判断への影響、付着物の除去作業、機械化の難しさ、健康被害、現場が求める技術について聞いた。

地域・産業プロフィール

北海道・道南函館地域は、国内を代表するマコンブの産地である。

養殖マコンブは、秋に養殖施設を設置して種苗を沖出しし、冬から春にかけて間引きや「棚上げ」と呼ばれる水深調整を行う。初夏から夏に収穫し、乾燥・加工を経て出荷される。

なかでも、道南で多く生産される「折り昆布」は、肉厚さと外観の美しさが重視され、一般的な長切り昆布より高い価格で取引される。一方、加工には多くの手間がかかり、付着生物や傷による品質低下の影響を受けやすい。


インタビュー本文

Q1. まず、養殖マコンブは一年を通して、どのように生産されるのでしょうか。

秋になると、養殖施設を設置して、種苗を海へ出します。そこから冬、春にかけて昆布を育てていきます。

ただ、海に入れて待っていればいいわけではありません。昆布同士が混みすぎないように間引きをしたり、「棚上げ」といって施設の水深を変えたりします。水温や日照、海の状態を見ながら、昆布にとって良さそうな場所を探っていくんです。

初夏から夏にかけて収穫して、その後は乾燥、加工、選別、出荷です。収穫後には施設を片付けて、次の年に何基やるのか、長切りにするのか折り昆布にするのかといったことも決めます。

一年が終わったら、また次の一年が始まる。ずっとその繰り返しですね。

Q2. 付着生物は、どの段階から問題になるのでしょうか。

コケムシは、比較的早い時期から見えます。冬の間引きをしている頃に、小さいものがついていることもあります。それが昆布と一緒に大きくなって、春頃には目で分かるくらいになります。

ヒドロゾアは、それより少し遅れて出てきます。ただ、出る時期は毎年違います。春から見える年もあれば、初夏になってもほとんど見えない年もあります。

一番怖いのは、ヒドロゾアは水温が上がると一気に伸びることです。最初は少しだったのに、気づいたら金色の毛みたいなものが昆布の表面に広がっている。

一度見つけたら、あまり時間はありません。「見つけたら早く収穫してください」と指導されますが、こちらとしては、その前に分かれば一番いいんです。

Q3. なぜ発生時期や場所を予測できないのでしょうか。

「沖の方から水温が上がるから、沖から出るんじゃないか」という話もあります。

一方で、陸側は浅くて、日が当たると水温が上がりやすい。だから「陸側から出るのではないか」とも言われます。

でも、この辺りは潮が一方向に流れているわけではありません。いくつかの潮が混じるので、水温だけを見て「ここから出る」とは言い切れないんです。

年によっても全然違います。去年は大丈夫だった場所だからといって、今年も大丈夫とは限らない。経験はもちろん使いますが、最後は見に行って判断するしかありません。

Q4. ヒドロゾアの発生は、収穫判断にどう影響していますか。

本当は、昆布をできるだけ長く海に置きたいんです。

長く育てた方が、実入りがよくなって、厚みのある昆布になります。特に折り昆布は、厚くてきれいなものほど評価されます。

でも、長く置けば、その分だけヒドロゾアがつくリスクも上がる。

「もう少し置けば、もっといい昆布になる」と思っていても、ヒドロゾアが出始めたら、早く収穫しなければいけません。

品質を上げるために待ちたい。でも、待った結果、全部出せなくなる可能性もある。その判断は本当に難しいです。

Q5. 被害が拡大すると、どのくらいの損失になりますか。

施設の一部だけで済む場合もありますが、広がると何基分も駄目になることがあります。

養殖施設複数基分を処分することになれば、100万円単位の損失になることもあります。

ヒドロゾアが変色して、金色の毛のようになってしまうと、普通の製品としては出せません。低い等級で出そうとしても、状態によっては受けてもらえないことがあります。

今は問屋さんが、付着のある昆布を安い区分で買ってくれる場合もあります。それで全部捨てずに済むこともありますが、当然、通常の昆布や折り昆布と同じ値段にはなりません。

Q6. 付着物はどのように取り除いているのでしょうか。

基本的には、一枚ずつこすって落とします。

付着が少なければまだいいですが、多いと全然作業が進みません。同じ時間でも、処理できる本数が大きく減ります。

特に折り昆布は見た目が大事です。付着物自体を取れたとしても、毛の跡が残ったら等級が下がることがあります。

折り昆布は長切り昆布より高く売れますが、除去作業にものすごく時間がかかるなら、その価格差に見合わなくなることもあります。

高く売れる製品を作っているはずなのに、付着物の処理で手間ばかり増えてしまうんです。

Q7. 洗浄機などで機械化することは難しいのでしょうか。

過去に洗浄機を試した人はいます。ただ、この地域の昆布は、真ん中の中帯部が厚くて、端の方が薄いんです。

強くこすれば、ヒドロゾアが落ちる前に薄い部分が裂けてしまいます。表面に傷がつけば、商品価値も下がります。

逆に、力を弱くすると、今度はヒドロゾアが落ちません。

昆布全部が同じ厚さなら、一定の力で洗えるのかもしれません。でも、一枚の中でも厚さが違う。そこが、普通の洗浄機では難しいところです。

昆布を見ながら、場所ごとに力を変えてくれるような機械なら可能性はあると思います。

Q8. 除去作業による健康面の負担もあるのでしょうか。

乾燥したヒドロゾアをこすると、粉がすごく出ます。

目に見えないくらい細かい粉ですが、作業が終わると目がかゆくなったり、咳が止まらなくなったりします。

症状がひどい人は、作業前に注射を打ってもらったり、薬を飲んだりしています。

作業場にはダクトや換気扇もつけています。でも、完全に外へ出すのは難しいです。

品質を守るための作業ですが、それで人の体が悪くなってしまうのは、やっぱりおかしいと思います。

Q9. 現在は、どのような対策をしているのでしょうか。

一番の対策は、定期的に施設を見て、ヒドロゾアが出たら早く収穫することです。

付着のひどい部分を海の上で切り落とすこともあります。陸に持ってきてから全部処理するより、被害がひどいところを先に除いた方がいい場合もあります。

ヒドロゾアを加熱して昆布から分離できないか、試した例もあります。ただ、まだ誰でも使える対策にはなっていません。

結局、今やっているのは、出た後にどうするかという話です。発生そのものを防げているわけではありません。

Q10. 今、特に数値化・可視化したいものは何ですか。

一番知りたいのは、ヒドロゾアが「どこに」「いつ出るのか」です。

水温だけではなくて、水深や潮の流れ、日当たりなども関係していると思います。海の表面だけではなく、深いところの状態も知りたいです。

ヒドロゾアが特定の深さに多いのであれば、養殖施設を深く下げる「棚下ろし」で避けられるかもしれません。

でも、今はその根拠になるデータがありません。

数日早く分かるだけでも、収穫の順番を変えられます。全部を救えなくても、どの施設を先に上げるか判断できれば、被害はかなり違うと思います。

Q11. 外部の起業家や技術に、どのようなことを期待しますか。

付着物を落とす機械だけでなく、発生を早く見つける仕組みがほしいです。

水温や潮流、水深などを測って、「この場所はそろそろ危ない」と教えてくれるものがあれば、収穫判断に使えます。

除去する機械については、昆布を傷つけないことが一番です。真ん中と端で厚さが違うので、それを見分けて力を変えられるものがいい。

ただ、どれだけ性能がよくても、大きすぎたり、操作が複雑だったり、毎回メンテナンスに手間がかかったりしたら使えません。

船や加工場に置ける大きさで、壊れにくくて、漁業者が自分で扱える。それが大事だと思います。

Q12. この問題を放置すると、産地はどうなると思いますか。

ヒドロゾアを避けるため、毎年早く収穫するようになれば、十分に実入りした昆布を作れなくなります。

そうなれば、品質も収量も落ちます。道南の昆布全体の評価にも影響するかもしれません。

除去作業は時間がかかりますし、体への負担もあります。今いる人が頑張るだけでは、いつか続かなくなります。

若い人に「この仕事をやってみないか」と言っても、収入が自然条件に大きく左右されて、最後には粉塵の中で手作業をしなければならないとなれば、簡単には勧められません。

だから、単に作業を少し楽にするだけではなく、安心して育て、判断できる仕組みが必要だと思います。

Q13. それでも、道南のマコンブ養殖に可能性を感じるのはなぜでしょうか。

道南のマコンブは、きちんと育てられれば、本当にいい昆布になります。

厚みがあって、見た目もきれいな昆布を作るために、漁業者は毎日、海を見て細かく調整しています。そこは、簡単に真似できるものではありません。

これまでの経験が無駄だとは思っていません。ただ、海の変化が大きくなっている中で、経験だけでは判断しきれない場面が増えています。

現場が持っている知恵と、新しい観測技術や機械がうまく組み合わされば、まだできることはあるはずです。

昆布を傷つけず、人の体も傷つけず、いい状態まで育てられるようになれば、次の世代にもこの産業を渡していけると思います。


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